京極町ふきだし公園という所に来ました。わき水を楽しもうという公園のようです。
この公園は観光バスの休憩所としてよく利用されているようです。
地元の人はわき水を汲みに来るようです。



整備された公園で清らかな水と空気を楽しめる、長距離移動の休憩場所としては
最高の場所だと思うのですが、私の個人的な感想としては
観光客を受け入れるために作られた公園よりも、その外れの
畑の景色の方が感動的でした。



電信柱の間隔を見れば、この広さがわかると思います。



私の持っている“広い”とか“見通しの良い”という基準がことごとく覆される広大さです。
「なんじゃこりゃー!」と驚いて、畑の写真を撮りまくっていたのですが
北海道では当たり前の景色らしく、地元のお土産屋さんから見れば
「ここは、ふきだし公園とちゃうで」という気分だろうと思います。

では、メインのふきだし公園に戻ります。





ペットボトルや大きなタンクで水を持ち帰る人が多いです。
タンクで水を運ぶ人のための「台車貸します。50円。」
という商売が成立していました。
それを見た早乙女さんが「コミケ会場でも
台車レンタルやればいいのに」と言ってました。



緑が美しいです。



蒸し暑さとは無縁の場所ですね。



平日に行ったので人がほとんどいませんでした。
ここは家族でお弁当を持ってくるような公園のようです。
小学生くらいのお子さんだったら1日、遊べそうですね。



「道の駅」というのはサービスエリアのような物のようです。
車で移動する人が多いので、そういう人にとって
駅のような存在という意味のようです。

大きな駐車場とトイレがあって、ささやかなお土産屋さんとレストランがあります。
大型の観光バスが時々来て、トイレ休憩をして、また旅立っていきます。

私達がゆできび(ゆでとうもろこし)を食べている時に
関西やアジアからの観光客が休憩に訪れていました。

大型バスが出て行く時には、お店の人達は店からわざわざ出て
ずっとバスを見送って手を振っていました。
私はそれを見て、心の温かい人達だという印象を持ったのですが
次に商売人ゆえの愛想の良さだろうと思い
次にバスが来ない間は本当に暇なんだな、という結論に落ち着きました。
お店の人達は思惑などなく、本当に寂しいから手を振って
いるんだと確信できるほどに、閑散としてました。

私は京都で育って、国宝・重要文化財・世界遺産などに
とりたててありがたみを感じないし、何もしなくても
安倍晴明神社とかが勝手にブームになって
不便で地味な神社に勝手に遠方から人が来るという
状況に慣れていましたが、観光客を呼ぶことの難しさについて
考えさせられました。

それから、京都の観光地はどこも狭くて
四畳半の窮屈な茶室に次から次へと観光客が訪れて
何が何やらわからない、という状況に慣れてもいたので
北海道の景色はその全く逆で拍子抜けしました。

そして改めて京都の観光財産が計り知れない物だとわかり
世界が求める京都らしさを大切にして欲しいと願うのでした。

京都らしさとか北海道らしさとかいうのは
意図して作る物ではなくて、日常生活の中にある
両親から受け継いだこと、だと思います。


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